市町村制による町村長は町村会議で選挙され、任期は四年であった。末武南村村長藤井文四郎や米川村村長山本為次郎など、戸長から引続き村長に就任した町村長が多かった。
町村議会議員の選挙は二級選挙制をとり、町村税総額を二分して多い方を一級、少ない方を二級とし、級別に議員総数を二分して議員を選出する制度になっていた。これは町村議会で地主層の発言力を大きくした。町村の選挙にかかわるのは公民だけであり、公民とは二五歳以上の男子で、直接国税二円以上を納め、当該町村に地租を納める者であった。村会議員数は豊井村のみ一八人、その他は一二人であった。村会議員の最初の選挙は一八八九年(明治二十二)四月に実施された。久保村は十八日に二級選挙、翌十九日に一級選挙を実施した。その他の村は同日に一級と二級選挙を実施し、豊井村・末武北村は二十日、末武南村は二十一日、米川村は二十二日であった。投票率(表13)を見ると、温見村が九六・九パーセントと最も高く、最低は末武下村の四七・八パーセントと各村区々であった(「市町村制施行取調書」山口県文書館蔵)。
表13 市町村制施行による村会議員選挙状況(1889年) |
大 字 | 公民数 | 投票率 |
| 人 | % |
切 山 | 126 | 56.3 |
山 田 | 87 | 77.0 |
来 巻 | 100 | 64.0 |
河 内 | 216 | 63.9 |
計 | 529 | 65.3 |
東豊井 | 227 | 80.1 |
西豊井 | 222 | 81.1 |
計 | 449 | 80.6 |
笠戸島 | 173 | 52.6 |
平 田 | 40 | 75.0 |
末武下 | 115 | 47.8 |
計 | 328 | 58.5 |
末武上 | 180 | 63.3 |
末武中 | 126 | 75.3 |
生野屋 | 100 | 72.0 |
計 | 406 | 70.2 |
下 谷 | 170 | 90.0 |
瀬 戸 | 104 | 93.3 |
温 見 | 65 | 96.9 |
大藤谷 | 37 | 91.9 |
計 | 376 | 93.0 |