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町村費

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 一八七八年(明治十一)の地方三新法は郡区町村編成法と府県会規則のほかに地方税規則が公布されたものであった。国税に対して府県税は地方税と称された。町村費は協議費とも呼ばれて地価割や戸別割を中心に徴収された。税収は資本主義の発達とともに営業税や所得税に付加して徴収されるなど、費目は複雑化した。国税に付加して町村費を徴収することは、国家財源確保から厳しく制限された。会計年度は七月から翌年六月までであったが、一八八六年から四月から三月までとなった。町村費は経常部と臨時部に分かれ、経常部は日常的費目で、臨時部は臨時の事業等に対応するものであり、学校建設や災害復旧などは臨時部であった。それだけに臨時部は経費がかさみ、財源は国税や県税の付加税のみでなく、戸別割や村債を起債した村が多い。
 一八八六年の各村の町村費をみると、地価割は地価の〇・三四-〇・三五パーセントが賦課され、その残余が戸数割と雑収入であった。地価が安い下谷村ほか三カ村は地価割収入が少なく、町村費の財源は戸数割収入に頼らざるをえず、戸数割収入が約七五パーセントを占めた。
 支出(表14)を見ると、各村とも役場費が二〇-三〇パーセント、教育費が六〇-七〇パーセントを占めた。役場費と教育費をあわせると総支出の八〇-九〇パーセントにもなった。末武上村外三カ村を例にとって詳しく見ると、役場費は庁費であり、役場営繕費を含んでいる。会議費は議場雑費がほとんどで消耗品費五円を含み、土木費は道路修繕費である。教育費は俸給費が七九四円余で約八〇パーセントを占め、その他は備品・消耗品・雑費である。衛生費は村医と種痘経費、勧業・救助費は雑費のみ約五円の支出、災害・警備費の支出はなかった。
表14 各村の町村費支出(1886年 予算額)
村 名河内村外三ヵ村東西豊井村末武下村外
1ヵ村1ヵ島
末武上村外三ヵ村下谷村外三ヵ村
円     %円     %円     %円     %円     %
役場費193.212 (18.0)233.217 (29.5)342.600 (31.0)379.530 (25.2)134.030 (22.4)
会議費15.401 ( 1.4)10.000 ( 1.3)10.000 ( 0.9)17.000 ( 1.1)5.000 ( 0.8)
土木費16.640 ( 1.5)8.000 ( 1.0)4.300 ( 0.4)22.000 ( 1.5)
教育費795.450 (74.0)516.460 (65.2)717.632 (65.0)1017.410 (67.5)450.000 (75.2)
衛生費41.280 ( 3.8)15.500 ( 2.0)20.000 ( 1.8)25.000 ( 1.7)4.500 ( 0.7)
救助費1.000 ( 0.1)3.000 ( 0.2)
勧業費6.370 ( 0.6)8.500 ( 1.0)10.000 ( 0.9)21.000 ( 1.4)4.500 ( 0.8)
災害費5.020 ( 0.5)17.000 ( 1.1)
警備費5.000 ( 0.3)
1074.373 (99.9)791.677 (100.0)1104.532 (100.0)1506.940 (100.0)598.030 (99.9)
「市町村行政区画標準調査書」(山口県文書館蔵)による