土木費の捻出について、末武南村から末武北村を通り米川・須金村に至る道路工事(一八九五年)を例にとってみる。末武北村は戸数割にすると生活困窮者の負担が大きくなるため戸数割をできるだけ減少させ、地租付加税を増加させることにした。末武北村の地租四〇七三円余の七分の一の制限を越えて七分の二とし、戸数割は各戸八〇銭におさえて計三二七五円余を捻出した(「末武北村会務ニ関スル上達下達各所往復類纂」)。米川村も同様の理由から戸数割をせず全部地価割とし、三年間にわたって地租の七分の三を賦課して、その財源とした(「米川村条例」)。
教育費のうち、とくに多額の費用を要する学校建設費について末武北村の例を挙げる。一九〇一年(明治三十四)、末武北村は花岡尋常高等小学校の校地拡張と中村尋常小学校の移転が問題となった。この費用総額四一〇五円余は地価割の付加率に一〇〇分の二・五を五カ年間追加して捻出することにしたが、高額であるため工事費総額を三五〇〇円とし、村基本財産金で支弁することに変更して、一九〇六年から五カ年間七〇〇円ずつ基本財産金へ戻し入れることにした。この工事が続いていた一九〇五年、高等小学校に女子補習科併設が義務づけられた。この工事費八二三円は村債として、下松銀行花岡支店から日歩一〇〇円につき二銭八厘で借り入れし、二年間戸別割を増徴することで元利を返済した。また一九〇九年に中村尋常小学校増築と花岡尋常高等小学校校園設置の問題が起こった。学校令の改正や人口増加などにより教育費がかさみ、町村財政を圧迫した(「末武北村会務ニ関スル上達下達各所往復類纂」)。
久保村の東陽尋常高等小学校移転新築工事は一九〇一年(明治三十四)からの三カ年継続工事であった。工事費総額三三五〇円は一九〇四年から七カ年で返済した。借入と返済年次は表15のとおりである(「久保村庶務ニ関スル上達下達各所往復書類」)。
表15 久保村村立東陽尋常高等小学校新築費 |
| 円 | 1901 (明治34)年 | 1950.000 | 1902 ( 〃 35)年 | 1200.000 | 1903 ( 〃 36)年 | 200.000 | 計 | 3350.000 |
| 年 度 | 償還之金 | 利 息 | 計 | | 円 | 円 | 円 | 1904 (明治37) 年 | 478.000 | 180.494 | 658.494 | 1905 ( 〃 38) 〃 | 478.000 | 143.600 | 621.600 | 1906 ( 〃 39) 〃 | 478.000 | 119.700 | 597.700 | 1907 ( 〃 40) 〃 | 478.000 | 95.800 | 573.800 | 1908 ( 〃 41) 〃 | 478.000 | 71.900 | 549.900 | 1909 ( 〃 42) 〃 | 478.000 | 48.000 | 526.000 | 1910 ( 〃 43) 〃 | 482.000 | 24.100 | 506.100 | 計 | 3350.000 | 683.594 | 4033.594 |
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