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町村財政の推移

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 表16は経常部歳出の推移である。日清戦争後、国家財政が膨張するとともに町村費も膨張した。この傾向は日露戦争後さらに強まった。一九〇二年(明治三十五)はどの町村も小学校の増改築と末武川の洪水による災害復旧が重なり、経常部・臨時部ともに著しく膨張した。日露戦争中は非常特別税法が公布され、国税確保のため地方町村の学校建設等の事業はすべて中止させられた。だがその後のインフレと不況により町村財政は膨張した。
表16 経常部歳出の推移(決算)
年度久保村豊井村
 (下松町)
末武南村末武北村米川村
1890 (明治23)年1,3581,2671,3531,4461,005
1898 ( 〃 31) 〃2,1683,3482,1413,2732,461
1901 ( 〃 34) 〃3,9237,3194,1854,7262,634
1904 ( 〃 37) 〃4,9996,3904,6596,0922,916
1907 ( 〃 40) 〃4,6809,9696,3357,3613,055
1910 ( 〃 43) 〃7,26911,55511,8429,9483,855
1913 (大正 2) 〃7,71015,70010,29610,8784,162
1916 ( 〃  5) 〃8,28712,9258,88610,9034,833
1920 ( 〃  9) 〃20,46646,12422,42829,39110,913
1924 ( 〃 13) 〃25,12148,93328,81636,71713,669
単位は、円以下切捨て
「市町費決算」(山口県文書館蔵)による

 税額を米川村の例(表17)でみると、営業税・雑種税が加わり、市町村制施行の時期より複雑化した。営業税は営業職種により県税と国税に分かれている。町村税は国税・県税の付加税と戸別割賦課税であり、そのうち付加税は制限があるから戸別割が多くなり、八〇パーセントを越えている。町村税戸別割の一戸当平均額は六円八銭、最高額四九円八七銭、最低額二八銭となり、差が大きい。
表17 米川村の直接国県税町村税額と1戸当負担額
(1910・明治43)
税 目金 額現住戸数
 1戸当
円  円  


地 租2,386,0204.750
営業税209,3900.410
所得税455,7400.905
3,051,150


戸数割724,9601.440
営業税244,4500.485
雑種税186,2000.370
1,155,610


地価割418,7500.830
国税営業割26,6800.050
県税 〃 64,6700.125
所得割75,3200.150
戸別割3,054,3406.080
3,639,760
「米川村事績概要」による

 同年の町村税滞納額は五円、人員八人、六〇・八パーセントは棄損欠損額で、その他は延納額であった。資本主義の発展につれて階層分化が進行し、貧困の問題が複雑化した。また、下付金、補助金、下渡金等がみられ、補助金行財政への依存が強まる傾向がみられる(「米川村事績概要」)。