一九一〇年(明治四十三)十月の都濃郡町村長集会で郡長訓示として三大必行事項が示された。これは①事務の整理、②滞納矯弊、③基本財産蓄積、以上三点であった。即ち町村費の膨張と庶務等事務の多様化による役所事務の整理であった。事務整理は「記録内容ノ審査、編綴ノ順序、分類ノ種目等ヲ一定」(「下松町町事務報告」)にすることであった。三大必行事項は大正に入っても毎年続けられた。米川村は一九一七年(大正六)で旧記録類の整理は「臨時雇ヲシテ之ガ整理ノ大体ヲ終了」(「米川村事務報告」)する状況であった。都濃郡東部七カ村では自治事務研究会を毎年開き、郡役所書記が各町村を巡回指導し、事務監督と会計監査を実施して、郡長にその実施状況を報告した。
滞納矯弊は納税の徹底化であり、村内の組長・区長を通じて示談会や懇談会を開き、納税期日を記した印刷物を配布してその徹底化をはかることであった。表19の下松町の滞納者を見ると、国税は地主層への課税であるため、各町村とも〇または一-二名であるが、付加税や戸別割等を主とする県税・町村税に滞納者のあるのは当然であった。下松町では一九一八年(大正七)度以降滞納者が増加した。これは「久原工場設置以来、他地方ヨリノ転住者漸次多キヲ加エ、随テ未納者滞納者年々増加ノ傾向」(「下松町事務報告」)の結果であった。
年 | 国 税 | 県 税 | 町 税 |
| 円 人 | 円 人 | 円 人 |
1913 (大正2) | 13.320 ( 3) | 20.400 (25) | 21.530 (25) |
1914 ( 〃 3) | 12.480 ( 2) | 17.050 (24) | 7.980 (11) |
1915 ( 〃 4) | ― | 20.480 (20) | 28.260 (21) |
1916 ( 〃 5) | 0.320 ( 1) | 0.260 ( 5) | 19.220 (18) |
1917 ( 〃 6) | ― | 3.000 ( 1) | 21.730 (15) |
1918 ( 〃 7) | 141.140 (91) | 645.700 (549) | 358.280 (88) |
1919 ( 〃 8) | 140.690 (81) | 409.450 (490) | 246.260 (87) |
基本財産蓄積は、町村財政強化であり、下松町では基本財産蓄積条例を改正して、一九一一年(明治四十四)度から明治百年までの五七年間で二〇万九〇〇〇円余の蓄積を計画するなど、各町村とも年々の蓄積が実施された(同)。