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塩田の経営

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 塩価は日清戦争後暴騰し、また日露戦争後のインフレで騰貴したが、石当たり平均して一五円二〇銭から一七円九〇銭であった。塩価は変動が激しく、それだけに塩田の経営は変動にたえうる資本力が必要であった。宮ノ洲塩田を経営していた矢島家の塩田所有面積は一九〇二年(明治三十五)約三〇町歩あり、下松塩田の約三分の一を占めた。矢島家の土地所有状況は表4に示したように、六五町歩余のうち塩田が約半分を占め、田畑が三分の一の二〇町歩余で、その地域は下松のみでなく徳山、須々万、富田まで及んでいた。宮ノ洲地域は塩田・畑地・宅地・池沼を含めて総計三一町三反余であり、宮ノ洲のほぼ全域が矢島家の所有地であった。その他矢島家は俵屋開作の田地四町六反余、小島開作の雑種地九町七反余を所有しており、東西豊井村の五〇町三反余が矢島家の所有地であった。田地は須々万村、徳山町、下松町を中心に一九町四反余となっている(「矢島家土地台帳騰本」)。
表4 矢島家の土地所有状況(1902年)
下 松末武北久 保徳 山須々万富 田計 (%)
畝    %
塩 田3,179.223,179.22 (48.5)
田 地503.1581.18155.13306.26892.132.181,942.13 (29.6)
畑 地103.047.0522.18132.27 ( 2.0)
山林原野69.0269.02 ( 1.0)
宅 地128.0511.022.24142.01 ( 2.2)
池 沼82.2435.294.13123.06 ( 1.9)
雑種地971.22971.22 (14.8)
5.038.0481.18162.18376.15899.202.186,561.03 (100.0)
「矢島家土地台帳謄本」による

 表5は自小作率と一町当たりの小作料である。下松塩田は県内では生産性が高い方であり、一般に国内塩は輸入塩に対して良質であり、比較的に、小作料が高いのは良質塩の生産のためであろう。三田尻塩田は面積、生産性ともに群をぬいている。自小作率をみると下松塩田は小作率一〇〇パーセントであり、秋穂や富田が自作浜数が多いことに比して対照的である。県下の塩田は生産性の高い浜は自作し、生産性の低い浜は小作にする傾向にあったが、その点下松塩田は異なっていたといえる。
表5 塩浜自小作率と1町当たりの小作料(1916~18)
塩浜自小作小作料
自作小作小作率塩浜田地
%
三田尻609415461.0382.69154.45
秋 穂51197027.1309.41163.20
平 生14334770.2143.90167.25
下 松04040100.0265.46230.96
『平生町史』による