日清戦争後、安い外国塩が輸入されるようになると国内塩は打撃をうけ、過剰生産される国内塩業の体質改善が必要となった。そこで一八九六年(明治二十九)政府による大日本塩業組合が設立され、その支部として一九〇一年山口県塩業組合が結成され、塩業界内部においても、経営の改善がはかられてきた。一九〇五年一月、国家財政を強化する意味から専売法が公布され、同年六月に実施されて塩は専売制の対象となった。専売法の施行と同時に六月周南の塩田地域の中心である下松に三田尻塩務局下松出張所が設置された。この下松出張所は大字西豊井恵宝屋開作の敷地一万五〇〇〇坪余に建物約六〇〇〇坪で建築され、当時の下松地域では堂々とした官庁であった(『大下松大観』)。管轄区域は下松町域のみでなく徳山市および都濃郡二二カ村熊毛郡九カ村と広く、塩の収納販売のほかその後輸出入塩の再製や食卓塩の製造、葉煙草、アルコール等専売品の取締りをも業務とした。専売法の改正により三田尻専売支局下松出張所と改称された。一九二四年(大正十三)十二月になり、三田尻専売局下松出張所は大蔵省広島地方専売局下松出張所と改称され、その業務を引き継いだ。