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末武北村・久米村耕地整理

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 一八九九年(明治三十二)の耕地整理法では、耕地整理は耕地の交換分合と道路・溝などを整備するものであり、費用は原則として整理地区内の地主の負担とした(『山口県政史』上巻)。四次にわたる下松地域の耕地整理は表7に示した。
表7 下松地域の耕地整理概要
組合長設立認可工事着工工事完了地区総面積予算
年 月 日年 月 日年 月 日町    円   
末武北村久米村
 下和田外11ケ字耕地整理
 
堀斉三1903. 3. 21903. 4.191903. 4.1925.10006 9,791.546
久保村切山・来巻・沖田
 外5ケ字耕地整理組合
 
兼安照治1909.12.251910. 4.261910. 5.20 6.7219 1,984.022
大礼記念末武南村・末武
 北村耕地整理組合
 
古谷小作1917. 1.301917. 2.271921. 3.1074.54253626,474.000
久保村出合耕地整理組合山田恒造1929. 4.251930. 2. 11930. 9.10.0118 5,227.000
「耕地整理一覧表」(山口県文書館蔵)より作成
「耕地整理組合」(同上)

 末武川に沿った末武北村字和田と久米村字鳥越の耕地整理は一九〇三年(明治三十六)四月十九日に工事に着工し、同年九月七日に完了した。換地を含む事業の完了は一九〇五年七月十八日で、管理総面積二五町歩余であった(「耕地整理一覧表」山口県文書館蔵)。この耕地は湿田で排水が悪く、一毛作しかできなかったところへ、一九〇二年八月十日の末武川の決潰が契機となり、復旧工事と併せて耕地整理が企画されたものである。①所有地の入り組み調整、②道路・溝の湾曲の矯正、③排水と土壌の改良、④肥効の改善の四点がその主目的であった。工事費九七九一円余を要し、県費補助は一〇〇四円であった(「耕地整理組合」山口県文書館蔵)。整理後の稲作状況は「前年ニ比シ収穫増加」(「末武北村事務報告」)し、結果は上々であった。この耕地整理後に末武中村と久米村の境界が整理変更された(「末武北村庶務ニ関スル上達下達各所往復書類」)。

末武北村字和田・久米村字鳥越耕地整理地区の現形図と確定図
(明治36年)(耕地整理組合)(県庁戦前A農1404)