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農業団体の設立

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 県の勧業事業を推進し、農事の改善や品種の改良等をはかるため各町村に農事会が設立された。末武上村・末武中村・生野屋村の農事会は「農事上ノ経験ヲ拡メ知識ヲ交換シ専ラ其蕃殖改良ヲ謀ル」(「末武上村末武中村生野屋村連合村会会議録」)ことを目的として、一八八四年(明治十七)に設立された。老農や勧業委員等二〇名で組織され、費用は連合村協議費より支出された。米川村では九六年二つの農事会があり、会員数一三〇名であった(「米川村事務一件」)。
 下松町農会は一九〇六年(明治三十九)三月七日に創立され、事務所を下松町役場内に置いた(『大下松大観』)。末武南村農会も同年に設立された(『末武南村郷土誌』)。
農会は県の農会や町村役場と密接な関係を持ち、農事に関する講習、種苗田・採種田の経営、種子交換品評会の開催などを主な仕事とした。一九一二年(大正元)末武北村の農会加盟人員は六五六名であったから、小作人を含めてほぼ全農家が加入していたことになる(「末武北村事績概要」)。
 信用購買販売利用組合は末武北村の組合の定款によると、肥料・種苗や家畜その他の共同購入や預金貸付を業務とし、一口五円として第一回払込額二円、その後の払込みは毎年の剰余金を払込みにあて、満二〇カ年で解散するものである(「末武北村勧業に関する例規」)。一九〇八年(明治四十一)に創立され、村勧業費より六〇円の補助を受けて経営され(「末武北村村会議事録」)、一二年の加盟人員二一五名、貸付金二〇一三円九〇銭であった(「末武北村事績概要」)。
 下松町信用購買販売利用組合は一九〇六年に創立され、創業時の組合員六六名、払込出資金六六円、預金高九〇円であった(『大下松大観』)。香力組の組合は一九一五年(大正四)香力組の共有金三七〇八円で設立された。末武南村の組合は一九〇八年に創立され、創立当時の出資金七三〇〇円であり、二〇年後の一九二八年(昭和三)いったん解散したのち第二次の組合が設立され、一口二〇円、三五〇人加入し、そのときの組合財産金は一四万六〇〇〇円で、創立以来経営は順調であった(『末武南村郷土誌』)。一九一三年(大正二)現在の各村の組合概況は表8のとおりである。
表8 産業組合の概況(1913年)
組合名設立年月組合
員数
出資
口数
払込済
出資額
貸付金購買額販売額
下松信用購買販売組合1906年5月1211417058,2653,302――
末武南村  〃  〃 1908. 71712162,12524,2871,1743,052
笠戸     〃  〃 1913. 2891909508891,868――
深浦     〃  〃 1912. 61282891,4455,259――――
末武北村  〃  〃 1909. 22142921,4609,6314,46610,107
下松製瓦  〃  〃 1913. 31022625――――――
「米川村町村長集会一件書類」による