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芝草運送船

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 笠戸島の字野山や字外野山など計二〇四町四反余の山林は末武南村が下戻申請をし、一九〇八年(明治四十一)に払下げを受けた。この山林は末武南村と末武北村の共同芝草刈取慣行があり、八分を末武南村、二分を末武北村とした(「末武北村村会議事録」)。末武北村は芝草運送船を所有し牛馬の飼料を採取していたが、翌年船が破損したため、下戻を受けた笠戸島の林野の立木を売却して船の新造費四五〇円を捻出した。一九一八年(大正七)にも同様にして運送船が新造され芝草採取が続けられたが、二六年に運送船は廃止された(「末武北村庶務一件」)。