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連合期成会の設立

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 一九一七年(大正六)六月二十五日、関係各町村議会は久原工場設立の援助を議決し、久原工場設立一町五カ村期成同盟会を設立して、土地買収等の斡旋と連絡を行う組織とした。この期成同盟会は各町村の臨時委員一七人と各町村長六人で構成され、下松町中市に事務所を設けた。役員には総務に堀正一・矢島専平、理事に岩山清三・兼清常吉、評議員に下松町二人、末武南村二人、末武北村三人、太華村一人の計八人を選び、度々周慶寺で会合を開いた。加入町村は下松町をはじめ末武南村、末武北村、太華村、久保村、久米村であった。はじめ一町四カ村であったが、久米村が加入して五カ村となった。久保村は加入しているが買収地域から除外された(「久原工場設置一件」)。
 同年六月二十七日堀正一・矢島専平・上原乙治・中山説太郎らと都濃郡長は山口で林知事と懇談、工場設立への援助を要請し快諾を得た。七月六日下松町議会は、他の村に先駆けて豊井小学校と宮ノ洲の伝染病院敷地および墓地の寄附を決議した(「下松町庶務一件」)。各町村ごとに後援会が設立された。同月七日末武北村は久原工場設置後援会を設立し、会長上原乙治、副会長堀清平として村内の中心的人びと四一人で組織し、九日中村小学校で設立総会を開いた(「久原工場設置後援会会則」)。下松町は金清要一を、末武南村は林永太を会長として、それぞれ後援会を組織した。