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第一回用地と増補地

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 各町村議会の歓迎決議から一週間後の一九一七年(大正六)七月二日、下松町、末武南村、末武北村、太華村の地主三九七人は周慶寺で地主会を開き、地主一同歓迎を決定し、売り渡し価格は県知事に一任することにした。その代表として堀正一・矢島専平・植杉佐武郎・国広八助の四氏が挨拶を兼ねて県知事を訪ね、売価の決定を依頼した。七月七日の地主会では三六一人のうち一八〇人が土地建物売渡書に調印し、スタートは上々であった。表1は地主の居住地別であるが、十日現在の下松町の状況である(「久原工場設置一件」)。鉄道以南の地は人家が少なく小作人が多いため、上々の結果であった。
表1 下松町の字別被買収者総数と調印未済者数
(1917年7月10日現在)
字 名被買収者
総数
左のうち
未調印者数
上恋ケ浜411
下 〃 570
乗 越200
100
浜河内421
宮ノ洲686
中豊井863
長 浜90
寺 迫373
本町通り492
浦町通り380
その他42
46118
(「久原工場設置一件」)による
注、地主の居住地別である。

 地主会および各町村議会の好結果をもって代表が上阪した。上阪の結果、知らされたのは増補地であった。地元へは十七日の連合期成会で発表された。それまでの第一回用地は下松町・末武南村・末武北村・太華村のうち市街地を除いた鉄道以南の地および恋ケ浜・中豊井・末武北村の荒神山の一部であった。増補地としてあげられた地域は切戸川以東鉄道以北の市街地を除く下松町全域と荒神山全部の下松町・末武北村・太華村・久米村に跨がる広大なものであった(「防長新聞」大正六年七月十九日付)。「連合期成会庶務録」によると表2のように第一回用地は三一八町歩余、増補地は二一三町歩余、計五三一町歩余(一五九万坪)、買収対象者総数一二〇一人であった。
表2 久原工場の町村別第1回用地と増補地(1917年7月24日現在)
町村第1回用地増補地
面積人員未調印者面積人員未調印者
下松町179.92084689116.5816400129296.5024
末武北村1.041919032.2327886733.2816
末武南村97.3519122397.3519
太華村39.931039356.861884396.7928
久米村7.710821(?)7.7108
久保村
318.245664815213.3869593199531.6395
1. 「久原工場設立一町四カ村聯合期成会庶務係」による
2. 増補地は7月17日に地元へ発表されたもの
3. 久米村調印者は取調中