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造船事業の中止

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 日本汽船株式会社笠戸造船所は一九一八年三月十一日造船事業を中止し、機械製造への事業計画変更を発表した。したがって人員の整理と工場の設備の変更に着手することになり、造船職工のうち四二名を残務整理のために残し三一三名を解雇した(『笠戸工場史』)。事業計画変更の理由は原料となる鉄の輸入禁止問題であり、船鉄交換交渉が行きづまったことによる。この事業計画の変更は前年八月アメリカの鉄禁輸問題の発生時点から予想されたため、当初から仮の造船工場しか建設せず、鉄筋工場を木造工場へと変更しているから、周到な計画の上でのことであった。だが地元住民や工事人夫にとっては「全く寝耳に水の有様にして大混雑」(「防長新聞」大正七年三月十二日付)の状況であり、「町民等も亦全く失望の淵に沈み意気全く消沈」(同前)するありさまであった。解雇職工および建造中の二隻は大阪鉄工所因島工場へ移送された。一月末に造船部門の残務整理終了により残務者を四五人として、四六人を解雇し、精密機械工場として整備した。四月には掲貨機七二台、ビルチバラストパイプ六隻分、掲錨機六隻分を受注し、生産を開始した。