一九一八年(大正七)四月ごろ、笠戸造船所は鉄道院から八六二〇型機関車の製造図面を借り、その製造に着手し、同年末に試作車が完成した。翌年二月、佐世保海軍工廠から一二トンBタンク機関車四輛の注文を受け、六月には納入することができた。同時に鉄道省指定工場となった。同年十月に機関車一二輛のうち一輛が完成し、同年末までに六輛を鉄道省に納入した。このころになると笠戸造船所は船舶用品の受注はなくなり、半面機械鉄鋼工場として整備が進み、従業員九〇〇人に増大した(『笠戸工場史』)。当時国内では手薄な機関車製造へ転換することになった。