ビューア該当ページ

株式会社日立製作所笠戸工場

634 ~ 634 / 1124ページ
 日本汽船株式会社の経営不振から笠戸造船所は買収され、一九二一年(大正十)二月四日日立製作所の付属工場となり、五月一日、日立製作所笠戸工場として登記された。工場長古山石之助は留任した。当時工場敷地四万坪余、建造物二六棟(延五二〇〇坪余)、職員七〇人、職工七三三人の規模であった。
 日立製作所は、茨城県多賀郡日立町の久原鉱業所日立製作所であり、大戦景気とともに電気機械製作所として進展し、二〇年二月に久原鉱業所から独立して株式会社日立製作所となった会社である。第一次世界大戦後の国内電力普及から、さらに発展して笠戸造船所を買収し、日立、亀戸、笠戸の三工場を持つことになった(同)。大正末年から昭和初年にかけての不況期のなかで経営は楽ではなく、深刻な労働争議が起こった。この間、国産で最初の電気機関車を製造し、一九二九年(昭和四)からは客車の製造を開始した。