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笠戸船渠株式会社とその他の工業

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 一九一七年からの島谷汽船の島谷徳三郎や小野造船鉄工所の小野清吉らが笠戸島江の浦、東繁昌、松ケ浦の三字にわたり、山林八町九反、田畑五町五反の払下げと買収に着手し(「防長新聞」大正六年十月十六日付)、同年十二月、地鎮祭を行い、大阪鉄工所笠戸島工場を設立した。第一次世界大戦で一時事業が中止されたが、一八年十二月から笠戸島船渠株式会社として経営された(『大下松大観』)。
 以上のほか、大正期の下松地域に種々の工業が設立された。木材工業としては、防長物産株式会社が一九一八年(大正七)九月に設立され、二五年、樫材工場を増設し叺(かます)織用の箴(はり)を、一九二八年(昭和三)から柄物を製造販売した。販路は県内のみでなく朝鮮半島から満州に及んだ。酒造業では一九二〇年(大正九)末武南村に創立された都濃酒造株式会社と能行の合資会社武居酒場がある。武居酒場は明治期以来酒造に従事し、二五年合資会社となり「武勇の誉」や「山桜」などの銘酒がある。運送業に下松共立運送会社と下松運送店が二六年(昭和元)に合併創立された下松運送株式会社(資本金一〇万円)がある(同)。