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労働争議

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 山口県下の労働争議はインフレの激しい一九一七年(大正六)に多発したが、下松地域は久原工場の建設中であり、不穏な動きはあっても米騒動も発生しなかった。ただ大正の後半から昭和にかけて、つぎのような数例の争議がみられる。製塩工場人夫の争議は一九二二年(大正十一)、二五年、二六年、二七年(昭和二)に発生した。三〇年の塩田整理から失業浜子約六〇人が就業資金をめぐって製塩工場に押しかけた。このほか二三年の笠戸船渠株式会社造船工の争議があった(『山口県労働運動史』)。