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争議の解決とその後の状況

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 一九二八年一月十二日下松町役場で小野正助・武居利吉等地元の調停委員を交えて会社側全権委員と交渉が開かれた。会社側提示妥協案の要点は、①三回に分けて馘首した一一名、一五名、四名、計三〇名は復職させない。ただしこれは懲戒的なものでないことを会社側から声明する。②解職手当は従来の規定どおり給与する。③労友会は解散する。④労友会解散手当金一万二〇〇〇円、解雇手当金七〇〇〇円、休職職工に二〇〇〇円を支給する。⑤待遇改善は会社で自発的にする。⑥入場職工は誠心誠意就業することを誓う、の以上六点である。この条項を労友会は了承し、長い労働争議は終わった。翌十三日午後争議団解散式、十四日午後入場式を行った。調停結果について「防長新聞」は「今後気遣われるのは争議団に加盟しながら途中裏切って復職した者と最後まで頑張った職工との間が巧く協調し得るや否や」(一月十四日付)と争議後の会社内人間関係の不安を報じた。
 労友会会員が復帰した職場は親交会会員や争議中に職場復帰した者と労友会会員との間で待遇が異なるなどあり、軋轢や衝突が生じた。そのため労友会職工全員が一月十九日同盟罷業し、争議団長は争議継続を宣言した(「防長新聞」一月二十日付)。労友会は会社側に①会社は親交会会員を優遇しすぎており、労友会会員と対等にせよ。②親交会幹部七名を馘首せよ。③労友会会員を従来の仕事に戻せ、という三カ条を要求した(同、一月二十一日付)。会社側はこれを一蹴するとともに、二十四日労友会職工五二名を不穏分子として工場内入場停止とし、さらに翌日四〇人の入場を停止し、争議は泥沼化した(同、一月二十七日付)。