人口の増加を下松町、末武北村、末武南村の三カ町村で比較すると表11となる。下松町域は大正期に急激に人口が増加しているのは久原工場設置のためである。末武南村は下松町域の拡大によって明治から大正にかけて人口が増加し、大正の後半期は下松町とともに増加する。反対に末武北村の人口は停滞する。一九〇七年(明治四十)下松町の商業戸数三三〇戸が一九一二年(大正元)に三〇四戸に減少した(「下松町庶務一件」)。これは山陽鉄道の開通によって下松地域が中間の通過地域になったための減少であり、大正中期以降下松地域の商工業は再び活況を呈した。
年 | 1883(指数) | 1902(指数) | 1912(指数) | 1920(指数) | 1930(指数) |
町村 |
| 人 | 人 | 人 | 人 | 人 |
下松町 | 5,856(100) | 6,577(112) | 6,937(118) | 8,192(140) | 10,174(174) |
末武南村 | 3,455(100) | 4,275(124) | 4,748(137) | 4,749(137) | 5,593(162) |
末武北村 | 4,031(100) | 4,184(104) | 4,884(121) | 4,392(109) | 4,807(119) |
1. 『山口県の統計百年』による 2. ( )は1883年を100とした指数 |