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山口招魂祭

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 山口招魂祭は毎年郡市から募集した寄附金で執行された。その手数を省くため郡市長集会で元資金を募集し、その利子で毎年五月六日を定日に招魂祭を執行することにした。一九〇二年(明治三十五)度は招魂社神殿建設費三五〇〇円と招魂祭費一〇〇〇円を元資金の内から支出した。元資金二万五〇〇〇円は一九〇二年と三年の二カ年にわけて徴収され、一九〇〇年度の現住人口一人に付き二銭五厘とし、一九〇二年度はその半分の一銭二厘五毛を徴集した。下松地域は計二八六円余、都濃郡は計一一九二円余であった。忠愛公銅像建造費は一九〇一年度の現住戸数一戸に付き一〇銭ずつ割り当てられ徴収された(「米川村庶務一件」)。
表1 山口招魂祭資金と忠愛公銅像建造費割当額 (1900年度分)
1900年末
現住人口
招魂祭
割当額
忠愛公
建立費
円  円  
久保村4,94861.85096.300
下松町6,40580.063135.900
末武南村4,08851.10076.200
末武北村4,93661.70086.900
米川村2,52531.56350.200
小計22,902286.276455.500
都濃郡計95,4391,192.992
「米川村庶務一件」による