各地で忠魂碑除幕や招魂祭が行われた。これらは市町村と尚武会や在郷軍人会によるものであった。尚武会は村内全戸を会員とし一八九七年(明治三十)以降に、在郷軍人会は一九〇七年以降に設立されたものが多い。在郷軍人会花岡分会は一九〇八年、末武分会と下松分会は一〇年、久保村分会は一一年にそれぞれ組織された。在郷軍人会は日清日露戦争の退役軍人を軸に組織され、各町村内で軍事思想を啓発し、入営者の予備教育や簡閲点呼の予習、招魂祭の執行など活動は多方面にわたり、軍事行政の末端をになった。在郷軍人会下松分会では一五年から徴兵適齢者に対し、分会長と小学校長の講話を取り入れ、これは「入営後良好ナル成績」(「下松町事務報告」)と評された。下松町では一九年徴兵検査に先立って二週間の予習教育を実施したところ、都濃郡二二カ町村のうち、下松町は二一等から一一等に成績が向上した(「下松町事務報告」)。