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徴兵忌避

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 明治期の簡閲点呼には不参加者がみられる。一九〇九年(明治四十二)下松町の簡閲点呼は不参加者が多く「外国渡航ト逃走者トニ依ルモノ」(「下松町事務報告」)であり、それだけに在郷軍人会等の勧誘指導が要請された。一九一四年(大正三)県下の町村長小学校長の集会でまず第一に徴兵忌避が取上げられ「疾病ヲ誇大ニ申告シ或ハ疾病ヲ欺為スルガ如キモノアル」(「米川村町村長集会一件」)状況の取締りが指示されたが、各町村では表4のように若干の忌避者がある状況であった。
表4 現役志願者数と徴兵忌避者数
町村名現役志願人員徴兵忌避の疑あるもの
1913年1914年1913年1914年
久保村372
下松町4
末武南村12
末武北村241
米川村1
久米村22
太華村11
徳山町1131
須々万村1
都濃郡計224554
「米川村町村長集会一件」による