下松地域のうち国道沿線の久保村と末武北村は、機動演習部隊通過による野営宿泊地に当てられることが多かった。一九〇一年(明治三十四)十月九日第五師団の秋季機動演習のため、騎兵中隊一一四人、馬一一四頭が花岡に一泊し、同年十月十四日から十六日にかけて第四二連隊四二六七人、馬一九四頭が花岡に一泊した。野営であっても馬繫場や野営地の整備で村内は多忙を極めた。また同月十七日から二十日は都濃郡内が歩兵第一一連隊の演習地となり、十七日には統監部六九人、馬四〇頭が一泊し、十九・二十日は二九五七人の兵士と馬七二頭が宿泊して、末武北村は多忙であった(「末武北村事務報告」)。一九〇八年と九年にも末武北村が演習地となり、一九一五年(大正四は久保村大河内が宿泊地となり、在郷軍人会や青年団の協力を得て準備が整えられた(「久保村事務報告」)。