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死因

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 一九一四年(大正三)度を例にとり、死因と死亡者数を表8と表9に示した。二歳未満の死亡者数が多く、その半数は発育不全である。その他呼吸器病が多いのは風邪であろう。老年者の血行器病は高血圧・低血圧が原因であろう。
表8 年齢別死因別死亡者数 (下松町 1914年)
病因










































尿















年齢
1年未満1911517
2年 〃43142115
3年 〃112
4年 〃22
5年 〃11248
5~10 〃112
10~15 〃2114
15~20 〃314
20~30 〃11415113
30~40 〃32223113
40~50 〃111115
50~60 〃23223113
60~70 〃34124115
70~80 〃51132315
80~90 〃3227
90 以上22
  計216617181624171417137
「下松町庶務一件」による。

表9 月別年齢別死亡者数 (下松町 1914年)
123456789101112
 年齢
1 年未満23122112317
2  〃 21234315
3  〃 112
4  〃 112
5  〃 11111218
5~10 〃 112
10~15 〃 2114
15~20 〃 11125
20~30 〃 11121222113
30~40 〃 122232214
40~50 〃 11125
50~60 〃 211111112112
60~70 〃 1312122214
70~80 〃 2111117115
80~90 〃 11111117
90 年以上112
1310127812813239148137
「下松町庶務一件」による。

 月別に死亡者数をみると、多いのは九月、十一月、一月、八月で季節の変わり目と夏冬である。二歳以下の幼児はとくに夏と冬に多くなる。一〇歳から一五歳までの下松町の死因(一九一五年)をみると、死亡者七人のうち三人が気管支カタル、二人が肺炎・感冒であり、呼吸器病の死亡率が高い(「下松町庶務一件」)。一九二〇年(大正九)一月県内に流感が発生し、死者一〇〇〇人といわれたことがあった(「防長新聞」大正九年一月二十二日付)。一九一一年(明治四十四)米川村の死亡者五三人のうち三歳以下が一六人(三〇・二パーセント)、六〇歳以上が一九人(三五・八パーセント)で、死亡者の三分の二が幼児と老人であった。米川村の幼児の死亡原因もまた発育および栄養上からで一九一四年(大正三)一〇人、一八年一三人である(「米川村庶務統計」)。