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伝染病の流行

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 一八八六年(明治十九)夏米川村など都濃郡北部にコレラが流行した。これを機に山口県知事原保太郎はコレラ菌の撲滅を訓令し、伝染病予防委員を各町村に設置させた(「米川村衛生一件」)。伝染病の予防は各町村にとって重大な問題であり、同年の末武上・中・生野屋村のコレラ対策費は計二七七円余にもなった(「末武上・中・生野屋連合村会会議録」)。伝染病は表10と表11に示したように毎年流行し、そのなかに大流行の年があった。一八九五年十二月から翌年にかけて米川村で腸チブスが流行し、二年間で患者三九名のうち一三名が死亡した(「米川村事務報告」)。九七年一月以来天然痘の流行の兆しがみられることから、県内に臨時種痘を実施させ、県令により衛生組合を設置させた。種痘は年二回の接種が実施されていたが、小学校就学督責とともになかなか徹底しなかった。再々の接種の督促に応じないため、末武上村では警察官の督促をも応じない者を告発したことがあった(「生野屋末武上村村会会議録」)。
表10 末武北村の伝染病発生状況
コレラ赤痢腸チブスジフテリア
1895年(5)(5)
1数名16
1896(3)(8)(11)
112334
1897(1)(1)
224
1899
11
1900
11
1901
213
1902(1)(1)
112
1903(1)(1)
1124
1904
617
1905(2)(1)(3)
1225
1906(1)(1)
134
1907(2)(2)
22
1908(1)(1)
1113
1909
11
1910
11
1911
11
1912
55
「米川村事務報告」・「米川村庶務統計」による。
( )内は死者数
数字は人数、疑似を含む。

表11 下松町伝染病発生状況
赤痢腸チブスジフテリアパラチフスエキリコレラ猩紅熱流行性脳脊髄膜炎疱瘡
1914年21214
191524428
191617231050
191771311334
1918
191916194741556
19209162229
192128212
19221318334
1923718316237
19243923391277
192512103732
1926205341042
19277543524
「下松町事務報告」による。
数字は人数、疑似を含む。

 伝染病予防のため各町村は衛生講話会や展覧会を開き、予防知識の普及をはかった。米川村は一九一七年(大正六)伝染病展覧会を開き九〇〇人が入場した。下松町は二五年小学校落成に併せて衛生展覧会を開き、県より主務二人を呼び、町民に説諭し四〇〇〇人が入場した。二六年下松町は、前年赤痢と腸チブスが流行したため予防注射を実施し、県より配布された「サプニン」培養基で早期発見に務めた(「下松町事務報告」)。
 一九二四年七月からの赤痢流行時に実施された下松町の予防法は①患家近接戸へ予防注射を施行する。②発生部落の井戸へクロールカルキを隔日散布する。③市街裏下水溝と市街各戸の流し場・下水にクロールカルキを一〇日毎に散布する。④予防に関する心得書を配布する。⑤数カ所で衛生講話会を開き全戸に出席させる。⑥小学校で活動写真会を開催し一般の注意を促す。⑦市街地各戸へ石油乳剤一升宛配布して蠅を駆除する。⑧蠅取紙を共同購入させることであった(「下松町庶務一件」)。一九二七年(昭和二)から衛生デーを実施させるなど伝染病の予防には各町村とも苦慮した。