伝染病による死者は病原菌撲滅の意味からとくに火葬を義務づけられていた。官有林野を火葬現場設置に使用する場合が多く、県の訓令で民有地に接した場所に設置しなければならなかった。末武北村は大崩の国有原野に火葬場を設置した(「末武北村会務ニ関スル上達下達各所往復類纂」)。
下松町議会は一九一九年(大正八)御屋敷山火葬場建設を議決し、総工費一五〇〇円、うち火葬竈建設費一二七七円余、面積二三三坪余、新式の火葬竈を設置して火葬を奨励した(「下松町会会議録」)。この町営火葬竈の使用料は一等一〇円、二等七円、三等五円と三等級に分れ、町民外の体用料は五割増であった。二〇年は「火葬数ノ漸時増加スルハ喜ブベキコトト思慮」(「下松町事務報告」)すべき状況であり、火葬数は二一年七七人、二二年九三人と増加した。二四年の使用内訳は一等一四人、内町民外一人、二等二五人、内町民外四人、三等六五人、内町民外一〇人、計一〇四人であった(「下松町事務報告」)。