警察制度は、当初裁判制度と未分化の状況にあった。一八七四年(明治七)県内各所に聴訴課出張所を置き、取締組を配属した。したがって旧勘場跡の花岡に聴訴課花岡出張所が設置された。翌七五年、行政警察規則の制定により県内警察制度の整備が進み、七六年聴訴課花岡出張所は花岡警察出張所と改称され第五~七大区を管轄区域とした。七七年花岡警察署と改称され、山口警察署の管下となった(『山口県政史』上)。
明治以降の政治的経済的変動によって、地域の重要性が変化し、公的機関も変化した。一八八二年(明治十五)山口警察署下松分署が字中市に設置され、花岡警察出張所はその管下となった。そののち下松分署は八六年徳山警察署下松出張所となり、九二年徳山警察署下松分署と改称された(『大下松大観』)。
駐在所の新設維持費は町村財政中より支出した。一八八七年(明治二十)末武北村他二カ村では戸長役場内に駐在巡査詰所を設け、寄宿所は役場敷地内に村費で新設した。また一九〇三年(明治三十六)の花岡駐在所新設費一六〇円は大字末武上村共有金より支出し、大字末武中村駐在所修繕費三六円も大字共有金より支出し、不足分は寄附金で支出された(「末武北村村会一件物」)。
一九二六年(大正十五)県内警察署の強化と改正で県内各分署は警察署に昇格した。下松分署も下松警察署に昇格し、下松、末武南、花岡、久保、米川を管轄区域とし、各地に駐在所が置かれた(『大下松大観』)。