日清・日露戦争後から大正期にかけて迷信の打破、結婚改善、太陽暦の励行、時間の確守、衛生思想の涵養、勤倹貯蓄思想の養成などの事項がとりあげられて旧来の生活習慣の改善が進められた。だが早急な改善は不可能であった。
末武北村交誼会は一八九六年(明治二十九)村会に建議書を提出した。この建議書は「時間確守ニ対シ時ノ標準ヲ一定センガ為メ村費ヲ以テ時計及正午器ヲ購入シ、報酬ヲ与ヘテ鐘撞ヲ担任スルノ人ヲ定ムルノ建議」(「末武北村村会一件物」)と題したものであった。すなわち村役場に正確な時計と正午器を備付け、花岡八幡宮の鐘をついて村民に時間を報知しようとするものであった。この建議書のなかで末武北村は「北ニ道路ノ改修アリ、南ニ鉄道ノ貫通」した位置にあり、「常ニ他町村ノ上流」であって「率先誘導、此悪習ヲ打破」するために設置しようとするものであった。