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恐慌の激化と税金の滞納

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 一九三〇年一月に政府が行った金輸出の解禁は、日本経済を国際的な金本位制へ復帰させることにより、輸出の増大と景気の上昇を目指したものであった。ところが、折からの世界大恐慌の拡大で輸出は伸びず、逆に金の海外流出が起こり、国内経済の冷え込みは一段と深刻化してしまった。
 そのため工業地域として漸く発展の機運に向かいつつあった下松地域も、経済不況の大打撃を受け、農村地域にあっても農作物価格の下落が著しく、厳しい不景気に包まれた。とくに下松町においては、二七年以後、日立製作所笠戸工場の職工解雇が繰り返されており、二九年には種々の失業者の増大が深刻化し、三一年ごろまで重苦しい世相が続いた。
 このような状況下にあって、三一年度の予算編成で町村税の減額が大問題となり、末武南・花岡・久保・米川村などでは、前年比で約二〇パーセントの村税削減を行っている。下松町においても同様に、同年度の予算における町税収入を前年度に比して六六三六円ほど減額し、臨時的な「積立金繰入」でその欠陥を補塡した。したがって、下松町税の歳入全体に占める比率も、図2のとおり六一パーセントから四六パーセントに下落している。

図2 下松町の歳入予算の構成(1930年)
(注)資料「下松町歳入歳出予算書」(1930年31年)

 しかし各町村の徴税事務は、不況期にあって、著しく困難な問題であり、国税・県税・町村税を通じて滞納者が増大した。その実情を末武南村について、年次的な滞納者と徴税額の推移で示すと、表1と図3のとおりである。すなわち、三〇年から滞納者が急増しており、最も身近な村税の滞納が目立つとともに、この増加傾向は三五年まで続いている。
表1 税金滞納者数の推移(末武南村)
年次1927192819291930193119321933193419351936年
 税種
国 税12391197313528
県 税23538120139128116128101
村 税9142357275326296280302230
(注)資料「事務報告書」(1928~37年分)


図3 徴税額の推移(末武南村)
(事務報告書から作成)

 同様に、下松地域の他町村も財政事情が悪化しており、以後「納税矯弊」が叫ばれるなど、種々の政治問題に発展する原因となっていた。