ビューア該当ページ

花岡村への改称と下松町役場の改築

685 ~ 686 / 1124ページ
 一九二九年二月、末武北村の村議会は、四十年にわたって使用してきた「末武北」の村名を「花岡」と改称する意見書を議決し、村長に提出した。「末武北」の村名は、一八八九年(明治二十二)の町村制の実施で、従来の生野屋・末武上・末武中の三カ村が合併したさい、その大部分に当たる末武上・中両村の名称を引き続いだものであったが、同じく末武下村・笠戸島・平田村の合併で付けられた末武南村の呼称と紛らわしかったため、その中心地としての花岡市や花岡八幡宮に因んで「花岡村」と改称するものであった。正式には県や国の認可を経て、二九年四月一日から「花岡村」と改称され、三二年二月には、岩徳線周防花岡駅の開業を記念して、図4のような村章が制定されている。

図4 花岡村章(1932年制定)

 一方、下松町においては、三〇年八月、中断していた老朽庁舎の改築計画が再開されることになった。すなわち、金清町長は、町議会の意向を重視するために、まず「臨時下松町役場建築委員設置規定」を設け、その委員に町会議員五名を任命して、この委員会の決定に基づき、改築費の多くを一般町民の寄付に頼る方針を採り、区長を中心とした勧誘を続けることとした(「防長新聞」十一月十八日付)。
 しかし、不景気も災いして、資金調達が困難を極めたため、庁舎建築の議会提案は遅れ、ようやく三一年二月になって、以前の計画から総工費の約二七パーセントを削減し、しかも、そのうちの約三〇パーセントを寄付金にたよるという内容で、町議会の議決をみた。そのため、建築工事は、三〇年度内に完成できなくなり、また大幅な追加工事も加わったことから、結局、工事費総額八一〇五円の庁舎が、三一年十月十日になって落成している(「昭和六年事務報告書」)。

下松町役場(1931年10月10日落成)