花岡尋常高等小学校の正門(1931年1月)
花岡村の小学校建設
とくに、三一年十二月、積極財政の方針を掲げた犬養政友会内閣が成立し、地方財政の運営方針も大きく変化したことから、大型の土木建設事業も可能になり、下松町では、「臨時産業振興委員」が産業振興に関する諸調査に乗り出し、下松商工会も下松築港期成同盟会を組織して、下松町の計画に呼応した。その結果、三四年には五二間の下松港桟橋が架設され、これが三六年の県営下松港の改良計画へと発展し、産業基盤の整備が進むことになった。
同様に、末武南村においても、すでに三〇年と三二年の二度にわたって、大海町の港に笠戸島巡航船桟橋の建設を求める請願書が出されており、新造渡船の建造に引き続き、三四年四月に花崗岩の桟橋が築造されている。また、広島逓信局管内にあって、通信機関の普及発展から取り残された形になっていた末武南村の笠戸島や、谷間の米川村にあっては、早期に電信電話を架設することを求める声が起こり、末武南村では三〇年十一月、米川村では三五年から、しばしば陳情を繰り返し、三三年には笠戸島へ、三七年には米川村へ、それぞれ電信電話を架設させている。