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時局匡救土木事業

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 一九三一年十二月、民政党若槻内閣に代わった政友会犬養内閣は、緊縮財政を積極財政に転換した。とりわけ窮乏した農山漁村を救済する目的で、「時局匡救」のために大規模な土木事業を計画し、農山漁民に賃金収入の機会を与え、ひいては諸産業の振興に役立てようとした。
 そのため、下松地域の各町村においては、一九三〇年の大水害からの災害復旧土木工事に加えて、翌三二年九月には、時局匡救事業の補助金を受けたことから、各種の土木事業を計画して、一斉に展開している。すなわち、米川村では、従前からの県道本郷下松線の用地買収とは別に、村道の改修を「農村振興土木事業」として採り上げ、三二年度は赤谷線一一七〇メートル、後山線四四二メートル、瀬戸線六八四メートルの三線を総工費五〇〇〇円で、三三年度は後山線五五〇メートル、西谷線二〇二メートル、赤谷線五四五メートル、大藤谷線五二八メートルを総工費五〇〇〇円で、三四年度は大藤谷線と西谷線の改修工事を総工費一三〇〇円で、それぞれ行っている。同様に、久保村においては、山田梅木原線、峠迫大蔵線などを、花岡村にあっては、生野屋線、花岡線、中村線、香力線などを、末武南村にあっては、尾尻藤光線、東光寺西沢田線、平田香力線、大海丁薄線、平田堀線、大海丁小浜線などを、下松町にあっては、三二年度において、本町開作間を一万一四一三円で、土井東柳間を二一四五円で、三三年度は、西豊井の切戸橋西柳橋間の切戸川河川改修工事を行っている。また下松町においては、三二年度の時局匡救対策の一つとして、政府払下米四四八俵の廉価配給を二回にわたって行い、二五八戸、延べ一一九七人が受給するということもあった(「昭和七年分事務報告書」)。