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[市政の施行]

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 一九三一年九月、満州事変が勃発し、これを機に工業界は活況に転じ、下松地区にあっても、日立製作所笠戸工場の大陸向け機関車類の大増産や、東洋鋼鈑下松工場の進出などで、労働者人口の増加が始まり、新興工業都市としてのたたずまいがみられるようになった。とくに下松町の著しい人口増加を中心として、これを取り囲む近隣の末武南・花岡・久保村などとの広域的なつながりが強くなり、ついに三九年には、これら四カ町村を合併しての市制施行が検討されることになる。
 ここでは、三八年の都市計画の策定から、市制の施行を経て、三九年十二月の第一回市会議員選挙と、それに続く初代市長の選任に至るまでの一連の動きを対象にして、下松市誕生の過程を追ってみる。