一九三九年五月十八日、下松町と末武南・花岡・久保村の四カ町村は、一斉に町村議会を開催して、町村合併による市制施行をそれぞれ全会一致で決議するところとなった。すなわち、下松町議会では、「市制施行ニ関スル要項」として、つぎのような八項目を議決し、他の三カ村議会も、ほぼ同一内容の議決を行った。
一、下松町・久保村・末武南村・花岡村を廃し、その区域をもって下松市を置く。
二、下松町の所有する財産は、その全部を下松市に帰属させる。
三、下松町廃止前の権利義務は、すべて下松市に継承させる。
四、市名は、下松(クダマツ)市とする。
五、市役所の位置は、末武南字尾尻附近とする。
六、旧町村中の大字名は、そのまま存置する。
七、市制施行の期日は、昭和十四年十一月三日とする。
(市制施行具申書)
この日に至るまでの曲折は、市制施行の原案可決後に、弘中伝人町長がとくに発言を求めて、次のように挨拶していることからも、容易に推察されるところである。
惟フニ町村合併ハ、歴史ト伝統ト感情ト利害ト相交錯シタ至難ナ問題デ、容易ニ実現ヲ期シ得ナイノデアリマスガ、之ガ斯クモ極メテ順調ニ且ツ迅速ニ進展シテ本日ノ決定ヲ見ルニ至リマシタコトハ、是レ固ヨリ時代ノ力デハアリマスガ、抑亦議員諸君其ノ他諸志ガ愛郷ノ至情ノ下ニ克ク大乗的見地ニ立チ、区々タル一身上ノ利害ヲ超越シ、公共ノ福利ヲ念トセラレタル献身犠牲ノ精神ニ基クモノニ外ナラナイノデアリマシテ、此ノ点ハ地方民諸氏モ充分認識セラルヽモノト信ズルモノデアリマス
(同)
こうして三九年八月には、各町村の状況調査書を添えて、市制施行を内務大臣に上申し、翌九月、内務大臣からの市制施行と山口県知事からの町村有財産の処分に関する諮問に異議のないことを答申し、その後、内務省地方局監督課長の実地調査を受けて、いよいよ十一月三日、待望の市制施行が実現する運びとなった。
市制施行の当日は、午前中、市内各神社において、「奉告祭」を執行し、午後には下松小学校において記念式典を挙行し、同校庭を会場として関係者が盛大な祝宴を張った。