一九三九年十二月、第一回市会議員選挙で定員三〇人の議員が決定すると、下松市長臨時代理者の立場にあった弘中伝人旧下松町長は、さっそく同月二十日に初市議会を開催し、その一日目に市議会の役員選挙を、二日目に新市長の選出を行う日程を立てた。
すなわち、初代下松市長の選出は、一九二六年(大正十五)に改正された市制第七三条に基づいて、市議会議員の選挙で決定することになっており、内務大臣による任命制度が廃止されていたからである。そのため、第一回の市議会において、誰が初代下松市長に選出されるかが最も注目されるところであったが、実際には、市制施行を最も熱心に推進した弘中伝人旧下松町長が、市制施行以後の市長臨時代理者から、そのまま新市長に選出され、任期四年の市政を継続することになった。
その後、四三年十二月には、第二代下松市長として、田岡勝太郎を選ぶことになるが、このときは三たび市制が改正されており、内務大臣による市長の任命制度が復活したことから、市議会の権限は、ただ単に市長候補者を推薦するだけに制限されてしまっている。