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国民精神総動員運動の展開

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 日中戦争の開始から二カ月後の一九三七年九月、近衛文麿内閣は国民を戦争へ協力させるための教化運動として、「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」を三大目標とする「国民精神総動員運動」を大々的に展開した。すでに花岡村にあっては、三年前の「満州事変三周年記念日」に、花岡八幡宮で満州事変戦病死者の慰霊祭を執行して
◎熱せず◎冷えず◎大に振へ◎真の防長精神を!!
                  (村上家文書「日支事変中諸達書類綴」)
と「檄」を飛ばしており、このような「戦意高揚」のための儀式や標語が、日中戦争開始後の国民精神総動員運動の中で、さらに強調されることとなった。

「国民精神総動員運動」を推し進める下松市役所(1941年)

 花岡村では三七年十月、「国民精神総動員」と題した活版印刷のチラシを作って、村民にその趣旨と運動目標の徹底を図り、つぎのような実践事項を示した。
一、日本精神ノ発揚
二、社会風潮ノ一新 イ、堅忍持久ノ精神ノ涵養 ロ、対立ト摩擦ノ絶滅 ハ、各人職分ノ恪循
三、銃後ノ強化、持続
四、非常時経済政策 イ、納税良心ノ発揮 ロ、国産品愛用ノ奨励 ハ、資減ノ愛護
                            (村上家文書、同)

国民精神総動員花岡村実行委員の委嘱状

 さらに、このような精神運動を推進する機関として、同月二十二日には、「国民精神総動員花岡村実行委員会」を設置し、計画の樹立や普及徹底の役目を担わせている。米川村においても、三七年十一月の「国民精神総動員強調週間」の実施に当たって、つぎのような「生活実践要綱」を定め、『米川村報』で広報している。
  国民精神総動員強調週間六則
週間中ハ
一、毎日一時間早起キヲ致シマセウ
一、皇太神宮、宮城ヲ遙拝シ、国威宣揚並ニ出征将兵ノ武運長久ヲ祈念致シマセウ
一、家内睦シク業務ニ精励シ、近隣相和シマセウ
一、健康ノ増進ニツトメ、能率向上ニ工夫致シマセウ
一、従来ノヨクナイ習慣ハ此際一ツニテモ改メマセウ
一、感謝奉仕ノ念ヲ一層強ク持テ応召軍人家庭ノ手伝ヒ、出征軍人ヘノ慰問方法ヲ講シマセウ
 また、翌三九年四月、下松町においても「天長節奉祝」として、宮城遙拝や神社参拝を町民に通達したり、同年十二月には、「南京陥落祝賀会」や「提灯行列」を行わせるなど、あらゆる機会を利用して、戦争遂行を目的とする「国民精神作興」を叫んでいる。
 そして、間もなく、この官製運動は、戦没者慰霊や神社参拝など、当初の精神主義的な運動から、「愛国公債」の購入や諸物品の献納など、戦時国策の完遂運動へと変容し、四〇年十月には「大政翼賛運動」へ拡大転化して、国民のすべてを一段と戦争に加担させていくことになった。