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災害復旧対策

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 一九三九年夏、西日本一帯は未曽有の大旱魃に見舞われ、市制施行を目指していた下松町ほか三カ村も、その応急対策に苦慮するところとなり、翌年も連続して旱魃に襲われたことから、新生下松市は、抜本的な旱害対策を重要施策の中心に置かなければならなかった。また、それ以後も毎年のように豪雨や台風による高潮被害が続き、下松市の農政は、災害復旧と戦時の食糧増産に多忙を極めることになった。
 とくに、三九年の旱魃被害は甚大で、八月五日になっても都濃郡下の水稲作付予定面積のうち二〇パーセントが田植えもできず、作付けが終わった水田といえども、その三三パーセントが被害を受けてしまった状況で、翌九月十日現在の下松町ほか三カ村の水稲被害面積は、表8に掲げた通りとなった(「昭和十四年旱魃一件」山口県農務課)。そのため、四カ町村の合併で市制を施行した直後の下松市は、応急旱害対策予算として市費五〇〇円を計上し、被害農民に畦畔・溜池・水路・掘井戸工事などを半額助成で行わせ、別に県費割当額二万五〇〇〇円で揚水機購入や代用作種苗購入などの助成事業を実施させている(昭和十四年分「下松市事務報告書」)。
表8 1939年旱魃被害状況(下松地域)
(1939年9月10日現在)

町村・郡
作付
予定
面積
被害面積旱魃による減収見込前5カ年
平均収穫量
減収見込
数量の割合
(前5カ年比)
植付をしなかったもの植付後の
旱害
総数量価格
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久保村4,7501,481313,2697,089248,1159,10278
下松町1,480618428292,79297,7203,68676
末武南村1,985358181,1921,68659,0104,20640
花岡村3,652420121,7803,529123,5159,54237
米川村2,134620291,4472,20377,1055,18942
都濃郡61,37312,3802038,24668,4932,397,255118,93558
[資料:「昭和14年度旱魃一件山口県農務課」より作成]

 その後、四〇年に旱害、翌四一年に水害と続き、四二年八月には、台風の来襲に満潮が重なって、山口県下の瀬戸内海沿岸一帯は高潮による大災害を被むった。すなわち高潮による下松市の家屋被害状況は、全壊一〇五戸、半壊八一戸、浸水一四二九戸となり、死者一人、負傷者二〇人、罹災者九四一〇人に達した(昭和十七年「下松市事務報告書」)。そのほか、船舶や道路などの損害、あるいは田畑、塩田、農作物などの被害も甚大で、結局、これらの災害復旧のために勤労奉仕した人々は二六団体、延べ四五〇〇人にのぼり、東京をはじめとする六大都市や朝鮮からの救援の衣料が二万一〇〇〇点以上にも達する情況であった。下松市役所の職員も、伝染病の発生を予防するための消毒や巡回診察、あるいは漂流物の処理、道路・河川・海岸堤防などの決壊箇所に対する応急工事に忙殺される日々が続き、戦時下の労働力不足と工事資材の欠乏が重なって、市政の執行を困難にした。