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温見ダム建設計画

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 岩国、下松、徳山、宇部、下関など、瀬戸内海沿岸に連なる山口県下の各工業地域は、日中戦争の遂行に伴う軍需生産の飛躍的な拡大によって、工業用水や電力に不足する状況が深刻になった。そのため錦川、厚東川、木屋川など、県内の主要河川の利水統制事業が、県営事業として、強力に進められることになった。
 下松市の場合、とくに「満州事変」以後、日立笠戸工場、日本石油下松製油所、東洋鋼鈑下松工場など、大工場の増産に加えて、これらに関連する中小工場の興隆も著しく、従来どおり、切戸川の流水に依存し続けることが不可能な状態になっていた。したがって、末武川流域の農民が農業用貯水池の築造計画を立てたのに呼応して、下松市は不足する上水道用水と工業用水を確保するために、積極的な支援を行っている。すなわち末武川は流水量が少ないため、すでに一九三八年から、都濃郡東部六カ村の農民が上流の米川村温見に溜池を構築する計画を立案中であり、これに翌年の大旱魃が拍車をかける形となって、急速に下松市ほか二カ村(米川・久米)用水改良事業が県営で実行されることになった。そのため、四〇年六月、下松市議会は、総事業予算額二八〇万円のうち、上水道と工業用水に関係する事業費を負担することを議決し、米川村議会においても、翌四一年十月、県当局の溜池新築許可の諮問に対して、異議のないことを答えている。
 この溜池新築工事計画の概要は、表9に掲げたとおりであり、四〇年に着工した工事は、戦時下の資材不足に悩まされながらも、県道の付け替えを完了し、徐々に進捗していたが、結局、戦局の悪化によって、四四年四月、新規本工事の中止を命じられた。その再開は、敗戦後六年を経た五一年の新計画による起工を待たなければならないのである(『工場適地の紹介』)。
表9 温見溜池新築工事計画書
(1941年米川村村会会議録)
堰堤の位置 末武川筋:都濃郡米川村大字温見打崎
堰堤高 38.3m
堰堤長 141.0m
堰堤主構造 コンクリート造重力式
貯水面積 37.0a
貯水量 5,700,000m3
使用水量 毎秒 3.262m3 (最大) 主として灌漑用水
   内 0.444m3 (常時) 工業用水