一、隣保団結ノ精神ニ基キ、市町村内住民ヲ組織結合シ、万民翼賛ノ本旨ニ則リ、地方共同ノ任務ヲ遂行セシムルコト
二、国民ノ道徳的錬成ト精神的団結ヲ図ルノ基礎組織タラシムルコト
三、国策ヲ汎ク国民ニ透徹セシメ、国政万般ノ円滑ナル運用ニ資セシムルコト
四、国民経済生活ノ地域的統制単位トシテ、統制経済ノ運用ト国民生活ノ安定上、必要ナル機能ヲ発揮セシムルコト
と、四項目を定め、具体的な実践事項には、
一、産業・経済・警防・保健衛生・社会教化ノ振興ニ関スル事項
二、必要物資ノ増産・供出・配給及消費ノ規正ニ関スル事項
三、国民精神総動員、銃後後援、国民貯蓄ノ実践ニ関スル事項
四、其ノ他、本部落住民ノ共同生活ニ関係スル各般ノ事項
の四カ条を「日本臣民タル道」として、指示している(昭和十五年「米川村役場庶務一件」)。
そのため、下松市は、四〇年十一月、「区長及区長代理者設置規程」を全面改正して、市内を表10に掲げたように、四大区・六五小区に割り、各小区に区長およびその代理者を置いて、十二月までにそれぞれの町内会規則を定めさせている。また、米川村でも、同年十一月から部落会の整備を進めて、十二月までには村内ほぼ全域に部落会の結成をみたが、一部の温見部落会にあっては、農事実行組合との関係で、会長の人選に紛擾が生じたため、最終的には、翌四一年九月まで、部落会の整備に日時を費した。
表10 下松市の4大区65小区(1940年11月) |
大区名 | 小 区 名 |
久 保 区 | 切山上区 切山中区 切山下区 来巻東区 来巻西区 山田上区 山田中区 山田下区 久保市区 河内上区 河内中区 大河内区 吉原区 |
下 松 区 | 上恋ケ浜区 下恋ケ浜区 上豊井区 日石社宅区 寺迫区 能行区 熊崎町区 昭和通区 法華寺東光寺区 柳区 土井町区 相生町区 二宮町区 住吉町区 神田町区 松ケ崎区 新町区 洲鼻区 元町区 本町区 中市区 樋ノ上中島区 旭町区 新地区 高砂町区 日立社宅区 |
花 岡 区 | 生野屋上区 生野屋中区 生野屋下区 花岡東区 花岡西区 高塚区 和田区香力北区 香力南区 |
末 武 区 | 平田東区 平田西区 西市東区 西市西区 大海町東区 大海町西区 東開作区 西開作区 笠戸区 尾郷区 江ノ浦区 大松ケ浦区 深浦東区 深浦西区 |
[資料]昭和15年「下松市会会議録」 |
こうして、下松市の町内会や米川村の部落会が、それぞれの区域内の全戸を対象にして結成され、さらにその下に、戦時生活の最末端組織として、一〇戸内外の隣保班が設定されるに及ぶと、これら町内会・部落会や隣保班の住民組織によって、戦争遂行を目的とするさまざまな国策が、市民や村民のすべてに貫徹させられることになる。とくに「隣り組」と呼ばれた隣保班は、戦時の国策として、勤労動員や諸物資の供出、あるいは戦時公債や国民貯蓄の消化など、生活のあらゆる場面において、家族主義的な拘束力や連帯主義的な規制力となり、地域住民の一人一人を束縛することになった。
また、毎月の一定日に、一戸一人以上の出席を義務づけていた隣保班の「常会」は、およそ次に示すような順序で催され、その協議や決議、あるいは申し合せ事項は、すべて記録にとどめて、上部機関に上申しなければならなかった。
一、敬礼 二、開会ノ挨拶 三、宮城遙拝 四、黙祷 五、国歌斉唱 六、勅語(詔書) 七、通達及報告 八、協議・懇談・決議又ハ申合 九、講話・研究・体験発表 一〇、絵話・音楽等 一一、閉会ノ挨拶 一二、敬礼
(「部落会町内会整備要綱」)