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町内会と隣組の強化

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 一九四〇年九月、政府は各府県に「部落会・町内会・隣保班・市町村常会整備要綱」を通達し、戦時下の国策を遂行する下部機構として、市に町内会、町村に部落会を組織させ、さらにその下に一〇戸内外の隣保班を置かせることにした。これを受けて、山口県も同年十月、各市町村に「部落会町内会等整備要綱」を通達した。その設置目的については、
一、隣保団結ノ精神ニ基キ、市町村内住民ヲ組織結合シ、万民翼賛ノ本旨ニ則リ、地方共同ノ任務ヲ遂行セシムルコト
二、国民ノ道徳的錬成ト精神的団結ヲ図ルノ基礎組織タラシムルコト
三、国策ヲ汎ク国民ニ透徹セシメ、国政万般ノ円滑ナル運用ニ資セシムルコト
四、国民経済生活ノ地域的統制単位トシテ、統制経済ノ運用ト国民生活ノ安定上、必要ナル機能ヲ発揮セシムルコト
と、四項目を定め、具体的な実践事項には、
一、産業・経済・警防・保健衛生・社会教化ノ振興ニ関スル事項
二、必要物資ノ増産・供出・配給及消費ノ規正ニ関スル事項
三、国民精神総動員、銃後後援、国民貯蓄ノ実践ニ関スル事項
四、其ノ他、本部落住民ノ共同生活ニ関係スル各般ノ事項
の四カ条を「日本臣民タル道」として、指示している(昭和十五年「米川村役場庶務一件」)。
 そのため、下松市は、四〇年十一月、「区長及区長代理者設置規程」を全面改正して、市内を表10に掲げたように、四大区・六五小区に割り、各小区に区長およびその代理者を置いて、十二月までにそれぞれの町内会規則を定めさせている。また、米川村でも、同年十一月から部落会の整備を進めて、十二月までには村内ほぼ全域に部落会の結成をみたが、一部の温見部落会にあっては、農事実行組合との関係で、会長の人選に紛擾が生じたため、最終的には、翌四一年九月まで、部落会の整備に日時を費した。
表10 下松市の4大区65小区(1940年11月)
大区名小 区 名


切山上区 切山中区 切山下区 来巻東区 来巻西区 山田上区 山田中区 山田下区 久保市区 河内上区 河内中区 大河内区 吉原区


上恋ケ浜区 下恋ケ浜区 上豊井区 日石社宅区 寺迫区 能行区 熊崎町区 昭和通区 法華寺東光寺区 柳区 土井町区 相生町区 二宮町区 住吉町区 神田町区 松ケ崎区 新町区 洲鼻区 元町区 本町区 中市区 樋ノ上中島区 旭町区 新地区 高砂町区 日立社宅区


生野屋上区 生野屋中区 生野屋下区 花岡東区 花岡西区 高塚区 和田区香力北区 香力南区


平田東区 平田西区 西市東区 西市西区 大海町東区 大海町西区 東開作区 西開作区 笠戸区 尾郷区 江ノ浦区 大松ケ浦区 深浦東区 深浦西区
[資料]昭和15年「下松市会会議録」

 こうして、下松市の町内会や米川村の部落会が、それぞれの区域内の全戸を対象にして結成され、さらにその下に、戦時生活の最末端組織として、一〇戸内外の隣保班が設定されるに及ぶと、これら町内会・部落会や隣保班の住民組織によって、戦争遂行を目的とするさまざまな国策が、市民や村民のすべてに貫徹させられることになる。とくに「隣り組」と呼ばれた隣保班は、戦時の国策として、勤労動員や諸物資の供出、あるいは戦時公債や国民貯蓄の消化など、生活のあらゆる場面において、家族主義的な拘束力や連帯主義的な規制力となり、地域住民の一人一人を束縛することになった。
 また、毎月の一定日に、一戸一人以上の出席を義務づけていた隣保班の「常会」は、およそ次に示すような順序で催され、その協議や決議、あるいは申し合せ事項は、すべて記録にとどめて、上部機関に上申しなければならなかった。
一、敬礼 二、開会ノ挨拶 三、宮城遙拝 四、黙祷 五、国歌斉唱 六、勅語(詔書) 七、通達及報告 八、協議・懇談・決議又ハ申合 九、講話・研究・体験発表 一〇、絵話・音楽等 一一、閉会ノ挨拶 一二、敬礼
                       (「部落会町内会整備要綱」)