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副業の奨励

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 農家が、遊休地などを利用して各種の農作物を栽培したり、家畜を飼育したりする副業は、山口県が一九二七年(昭和二)五月の「副業奨励ニ関スル告諭」で本格的に奨励するところであり、とくに昭和大恐慌下で困窮する農家に、現金収入の途を開く手立てとして、下松地域の各町村も、熱心に勧業した。
 たとえば、末武北村にあっては、広島専売局下松出張所が不況の続く塩の精製から葉煙草の乾燥に重点を移したことに対応して、二七年から煙草の耕作を始め、その翌年には養鶏組合を創立し、五万羽の養鶏を目標に、好成績を上げている(『花岡郷土誌』一九三二年)。下松町では、果樹園芸に力を入れて菜果出荷組合を振興し、山間部の米川村にあっては、葉煙草の耕作とともに、木炭の生産を奨励して共同販売で年間約八〇〇〇俵を売り捌き、三三年には製茶の講習会も開催している。

花岡養鶏組合事務所(1932年(『花岡郷土誌』より)

 最も広い農地を持つ久保村は、一九二六年(大正十五)から、煙草耕作組合を結成していたことに加えて、二八年(昭和三)には養鶏組合、三〇年には畜牛生産組合、その翌年には養蚕実行組合、翌々年には養兎組合を創立させるなど、盛んに副業を実行していた(表1参照『久保村郷土誌』一九三六年)。また、末武南村にあっては、二二年に創立した園芸会が、農家の副業にふさわしい事業として、温州蜜柑や水蜜桃・柿・葡萄などの果樹を奨励しており、二八年に創立した養鶏組合とともに、農家の経済を助けている(『末武南村誌』一九三三年)。