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久保村家産造成同盟会

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 昭和大恐慌は、農村部にまで深く浸透し、困窮した農家の税金滞納や破産を引き起こして、深刻な社会問題を各地に発生させていた。そのため、久保村では、村民が一九三二年二月の「紀元節」を期して、「家産造成同盟会」を創立し、不況による一家倒産に対処しようとしている。すなわち、久保村家産造成同盟会は、「一家永遠ノ幸福及向上」を目標にすえ、
一、本会員一人当リ金壱万円ヲ造成スルコト
一、会員中廃家絶家等ニ依リ家名断絶シタルトキハ、理事会又ハ総会ニ諮リ、是カ再興ノ途ヲ講スルコト
                    (今田家文書「会則其他書類綴込」)
と、二大事業を掲げた組織であり、任意加入の会員が一時に三〇円を出資し、それを元金に据え置いて、預金や国債購入などの資金運用で、一万円にまで増殖させようとすることを狙っていた。
 具体的には、実務を久保信用購買販売組合に一任して行い、これを会長・副会長以下一二人の理事が管理し、毎年二月十一日の創立日に総会を開催して、会務決算報告と重要事項の協議を行う運営方法をとっており、村民の「共励共助」の結合組織であった。そのため、家産同盟発足二年後には、年一回の総会費基金として会員一人当たり三円を徴収し、その運用で弁当を賄い、懇親を深めることとしたが、やがて当初の熱意も薄れ、総会の開催も隔年となった。さらに日中戦争開始後の三九年には、総会費基金を会員一人当たり五円ほど増加することを提案しているものの、戦争の激化に伴う物価の急上昇で「家産造成」の目標は砕け、その活動も低調になってしまった。
 結局、この家産造成同盟に加入し、会則に記名捺印した者はわずか八六人であって、当時の久保村の約一〇パーセントにしか過ぎず、その基金の増殖も遅々として進まず、七年後の三九年三月現在において、一戸当たり四五円余にしかなっていなかった。
表1 久保村の農家副業組合(1936年)
組合名設立年組合員数組合長その他
煙草耕作組合大正15年212人清木 勇耕作反別42町9反2畝5歩
養鶏組合昭和 3 〃125共同購売・飼糧共同購入
畜牛組合 〃 5 〃50古木 猛改良和種牛の増殖
養蚕実行組合 〃 6 〃83山下近治蚕種注文・桑園改良・繭販売斡旋
養兎組合 〃 7 〃30石田俊雄白色イタリア種、熊本市東洋養兎奨励会へ売却
[資料:『久保村郷土誌』1936年。参考:1932年の農業者は685戸]