花岡青物市場(1932年『花岡郷土誌』より)
一方、漁家においても経済恐慌の影響は著しく、各漁業協同組合は、不況の打開のために、魚市場の振興に努めている。下松町においては、三〇年三月、漁業組合が町営魚市場の移管を受け、売上手数料の歩合を一〇パーセントとし、土地建物使用料を年額一二〇円ほど納めながら、自主経営を始めている。下松町も翌々三二年六月には、魚市場と荷揚場の拡張のために、三六〇円の予算でもって、市場地先の新町入川を埋め立てている。
しかし、その後、下松町漁業組合が、三四年三月に、独自で魚市場を新設したことから、従来からの魚市場は、翌三五年三月に、町当局の直営に戻された(「下松町庶務一件町会会議録」)。また、末武南村においては、二九年に魚市場を開設し、漁業者の売上金額の一一パーセントを手数料に徴収しながら、末武南村魚市場請負株式会社の仲買人を入れて経営を続けた。その後、三四年九月になると、末武南村は、魚市場を別の位置に移転することを決めていたが、村内の末武南・笠戸・深浦の三漁業協同組合が、それぞれに魚市場を開設することになったため、翌三五年四月には移転計画を中止し、六月をもって村営の市場を廃止した。