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町村有林の造成

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 山口県の林業は、一九〇二年(明治三五)の官有林野七万二〇〇〇町歩余の下戻によって甦り、その三〇周年の一九三一年を記念して行われた大日本山林会大会を機に、町村有林の植林活動が積極化した。すなわち、公有林の造林は、治山治水の国土保安上のみならず、町村などが基本財産を保有して、財政基盤を強化する上で重要な政策であったのである。
 たとえば、花岡村では、二九年八月に常設林野委員を設置し、村有林の造林施行計画を立て、松苗を中心に造林を続け、さらに三五年には、笠戸島に位置する末武南村との共有林野に施行一〇カ年計画を立て、本格的な造林を開始している。下松町の場合、二九年八月に、町有林に県行造林の施業計画を立て、植林に着手したものの、事業は山火事で一頓挫したため、さらに三四年五月から、全町有林を実測調査して、その翌年十月に、十カ年計画の町有林施行計画を確定するとともに、三七年には、下松町施業森林組合を設けて、私有林への植林を進めた。また、久保村にあっては、公有山林地三五〇町歩に対して、民有山林地がその三倍強の一一六九町歩となっており、これらからの三〇年度の林産物の生産高は、図1に示したとおり、用材・薪炭材・竹材や黒炭のほかに、筍・松葺・栗などの生産もあり、山林がいかに多種多様の富を農村にもたらしていたかが明白である。

図1 久保村の林産物(1930年)
[資料:『久保村郷土誌』1936年)

 山林と最も密接な関係にあった米川村にあっては、二八年八月に林業講習会を開き、木炭の共同販売施設を奨励するとともに、十一月には、村の基本財産を造成する目的で、村内の森林整理に着手し、その翌年には村内にある花岡村・末武南村・久米村との入り合い林野を、それぞれ分割譲渡する手続きを完了している(「昭和四年度事務報告書」)。その上で、三一年六月には、「米川村造林費積立条例」を施行するとともに、三四年三月、常設林野委員を設け、翌三五年には森林施行組合を、翌々三六年には竹林組合を設立するなど、とくに林業の奨励に力を入れている。