一九三〇年、大蔵省広島専売局は、不振に陥った瀬戸内の塩業対策として、下松地域の塩田も大幅に整理縮小し、その代替として、翌年には葉煙草の再乾燥工場を下松町西豊井に設立し、都濃郡と熊毛郡の一帯の農家に、葉煙草の栽培を奨励し始めた。とりわけ、専売局下松出張所は、「塩業の街」と言われた下松の製塩業を支えた中心機関であり、すでに一九一九年(大正八)から、外国輸入塩を加工・再製する工場を設置して、主に食卓塩を製造し始めていたので、この葉煙草再乾燥工場の新設は、二度目の大転換であった。
以後、専売局下松出張所は、再製塩工場の生産量を増加させるとともに、葉煙草の再乾燥量をも伸長させ、三九年の市制施行当時には、従業員約三〇〇人を数える大工場として、山口県内産の葉煙草はもちろん、広島県、福岡県、鹿児島県産のものまでも集めて、再乾燥処理をするようになっていた(『大下松大観』)。
専売局下松出張所(1933年ごろ)
(『下松商工案内』より)