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下松港の整備

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 東の笠戸島と西の太華半島に包まれた笠戸湾は、わずかに南が瀬戸内海に開けた天然の良港として知られ、下松町や末武南村に工場が立地する上で、重要な条件になっている。
 しかし、貨物船は大型化しており、日立製作所笠戸工場や日本石油下松製油所、あるいは東洋鋼鈑下松工場などの大工場は、それぞれに荷役桟橋を建設したり、海底の浚泄をしたりして対応したものの、一般商船の接岸は困難で、下松港の改良整備が重要な課題になっていた。早くは、一九三〇年九月、末武南村が海岸整備委員を選任して、笠戸島江之浦に渡る巡航船の桟橋を大海町川尻に建設する検討に入り、あるいは三二年十一月には、下松町が西豊井重本屋に築港計画を立てるなどしたものの、いずれも実現するまでには至らず、下松港には荷役や乗下船の設備がない状態が続いていた。
 そのために、三五年ごろになると、山口県当局も下松港の改良を急務として認識し始め、翌年六月には、下松町が総工費八五万円の防波堤・岩壁・荷揚場や浚渫工事の計画書を提出して、本格的な県営下松港の建設が始まった(戦前県庁文書「地方港湾一件」)。