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[戦時下の商工業]

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 一九三七年七月、日中戦争が開始されると、あらゆる経済活動を戦争目的に従属させる動きが進み、商工業に対する軍事統制が急に強まった。すなわち、政府は、九月に、軍需工業動員法を日中戦争に適用するとともに、翌年四月には、国家総動員法を制定し、工場事業場管理令を施行することにより、軍需生産を最優先させ、さらに三九年十月には、軍需品工場事業場検査令を公布して、工場の生産活動に軍部を介入させ始めている。
 下松地域の各種工場も、一斉に軍需生産体制の中に組み込まれ、四〇年の段階で、日立製作所笠戸工場以下の一〇工場が二条(乙種)工場に、原田製作所以下の四五工場が三条(丙種)工場に指定され、この戦時体制のもとで、とりわけ、日立笠戸工場の大拡張と、日石下松製油所の機能強化が進められ、増産に継ぐ増産を行っている。その一方で、「企業整備」の名目で民需部門の工場や中小企業が縮小され、商業活動の転廃業も強権的に推し進められて、指定商店を通じて行われた配給制度さえも、年々拡大強化されて、人々は耐乏生活を余儀なくされていった。