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経済警察協議会の設立と「闇」防止

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 日中戦争の遂行のために、政府は物資の需給調整や価格統制を開始し、一九三八年七月に、その実効を目指した経済保安警察制度を打ち出した。これに対応して、山口県も「経済警察」を発足させるために、翌三九年一月には、経済警察協議会規定を定めて、県下の各警察署長を督促し、それぞれの管内ごとに経済警察協議会を設置させ始めた。
 下松市では、さっそく下松警察署長が中心になって、管内の下松町・末武南村・花岡村・久保村・米川村の町村長や、農会・漁業会・商工会・商工業組合など、各町村の経済団体長を議員にして、広範な協議会を組織し、経済警察の「円滑ナル運動」を協議させている(「昭和十四年米川村役場庶務一件」)。その具体的な協議懇談事項は、①統制諸法令ノ趣旨及内容ヲ周知徹底セシムル方法、②統制諸法令ノ違反防止ニ適切ナル方法、③統制実施後ニ於ケル関係事業ノ実情ト之カ対策、④経済警察運用ニ関スル意見、⑤其ノ他(同)、となっており、これによって、地域住民への統制諸法令の主旨徹底と違反防止を図った。また経済統制の実施後には、転業離職者への対策をも毎回の協議懇談事項として付け加え、厳しく経済警察を進めていくことになった。
 とくに統制令に違反した「闇」の取引が増えたことに対しては、警察官が監視と摘発を続けており、四三年五月には、飯米配給所を経営する市会議員が、米麦を市内の有力者や市会議員に横流ししていたとして、検挙されるなど、暗い事件が多く発生している(「関門日報」一九四三年五月十五日付)。