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日立笠戸工場の職工解雇

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 日立製作所笠戸工場は、一九二七年(昭和二)十一月から翌年一月にかけての労働争議で、合計七七人の解雇処分者を出しており、二七年に始まる深刻な昭和恐慌のもとでも、再び職工の大量解雇を断行し、「労働者の町」の性格を強めていた下松町や、その周辺の村々に、強い衝撃を与えた。すなわち、「防長新聞」の記事によると、三〇年三月には、「老朽職工淘汰」という見出しで職工二四人の「整理」を報じ、「今のところ不穏の形勢はない」と、労働争議の発生の可能性を否定的に伝えているし、同年十一月には、職工一九人の解雇を報じ、翌三一年三月には、二月末に実施した職工一四二人の解雇と、職員一〇余人の解雇予定を報道している(一九三〇年三月十二日・十一月十五日、三一年三月二日付)。その間、三〇年十月の段階で、福岡地方職業紹介事務局長は、日立笠戸工場の職工解雇に注目し、下松町長に対して解雇状況の調査を求めていた。
 しかし、下松町長から日立笠戸工場長に対する調査指示は遅れ、十一月に督促を受けた後に、ようやく調査結果の回答を得て、およそ表1のとおりに回答した模様である(「昭和五年下松町庶務一件」)。これによると、県内外にわたって二一五人の被解雇者が出ており、そのうち約三分の二の者は、「帰農」や「転業」の見込みをもっていたが、新たに就職口を捜さなければならないものが七〇人にものぼった。しかも、これらの求職者名簿については、日立笠戸工場からの「申出ナキヲ以テ不詳」という状況で、その実態がつかめないという深刻な事態であった(同)。
表1 日立製作所笠戸工場の職工解雇状況
(1930年11月調)
解雇者出身地調解雇者帰趨見込調
出身地
郡 内9715112帰農の見込のあるもの501262
県 内3333転業の見込のあるもの80383
県 外7070就職を見附ける必要のあるもの3333
其の他3737
2001521520015215
解雇手当支給状況求職者連名簿
勤続年数手当算出の標準率支給を受けた人員支給金額氏 名身 分勤続状況求職条件
日 給
1カ年未満21日分不 詳不 詳
1カ年以上〃26日分会社より会社より申出なし
2カ年以上〃30日分会社より申出なし
3カ年以上〃38日分回答なし
此の例により加給する
[資料:「下松町役場庶務一件」(1930年)より作成]