ビューア該当ページ

失業者対策

751 ~ 753 / 1124ページ
 一九三〇年三月、日立製作所笠戸工場が職工解雇を断行したことに加えて、同年六月には、大蔵省広島専売局が下松塩田の「整理」を発表した。そのため、とくに下松町と末武南村は大きな衝撃を受け、共同して塩田整理反対運動と失業者対策に取り組むことになった。すなわち、末武南村は、同年五月に「塩田整理失業者調査臨時委員」を設け、塩田整理阻止請願費四二〇円を予算計上して活動を開始し、下松町も同様に、町会議員五人を臨時委員に選任し、予算額一〇〇〇円で大蔵省や久原用地部に塩田整理の中止を陳情し始めた。とくに、下松町では、真夏の製塩が盛りを過ぎて、塩田廃止が一カ月後に迫った九月一日、失業者の状況を調査し、その結果を表2に掲げた通りに取りまとめて、山口県当局に報告している。これによると、下松町の「給料生活者」と「労働者」の合計は一〇〇二人を数え、そのうち五〇人が失業している状態で、五パーセントの失業率となっていた(「昭和五年下松町庶務一件」)。加えて、経済界の不況によって、大阪や徳山町などから帰町する者も出始めており、十一月には五世帯・一二人が帰農していた(同)。
表2 下松町の失業状況(推定)
(1930年9月1日現在調)
労働者種類

調査事項
給料生活者労働者
日雇労働者其他の労働者
有業者に関する推定数210352456804072035237925771,002
失業者に関する推定数10515205251010401050
推定失業者中要求済人員に関する推定数
備 考失業者中、帰郷するものも相当あり
[資料:「下松町役場庶務一件」1930年]

 そのため、翌三一年一月になると、山口県は不況や失業を背景にした事件が発生することを警戒し、下松小学校に近郊の社会事業協会方面委員などを集めて、つぎに掲げるような内容の「時局懇談会」を開催し、その活動を促している。
    記
一、趣旨
  時局ニ対シ社会事業並社会教化関係者等ノ採ルベキ方策ニ就キ懇談ヲ為シ、之カ徹底ヲ期ス
二、懇談スヘキ事項
 1、失業防止及救済ニ関スルコト
 2、貧困者救護ニ関スルコト
 3、生活改善ニ関スルコト
 4、公益質屋設置ニ関スルコト
 5、児童及妊産婦保護施設ニ関スルコト
 6、矯風教化ニ関スルコト
 7、其他時局ニ対シ必要ト認ムル社会施設普及ニ関スルコト
                         (村上家文書「令達録」)
 一方、農村部においても、三〇年の秋は大豊作で、経済界の不況に伴う売れ行きの不振と重なって、図1に掲げるように、米価の大暴落が起こり、深刻な社会不安に対処するための方策が講じられていた。たとえば、下松町の農会は、各農区長に通知して、一反歩につき一斗ずつの籾種を囲い込むことを指示し、末武南村においては、農区長を集めて、米価下落対策の協議を行わせている(「防長新聞」十二月九日付)。また、久保村では、一部の農民が「久保村農民経済合理化同盟」を結成して、村民大会を開催する宣伝ビラを配布したりする動きをみせた。しかし久保小学校に会場を拒絶されたために、農民は八名の委員を選んで、その協議会で、つぎに掲げるような項目を決議しており、これをつきつけられた村当局は、不況対策に迫られていたのである。
一、基本金造成を不景気中廃止する事
一、村長俸給の五割、吏員二割、教員は一割を村に返上する事
一、学校費、役場費を最大限度に節減せしむる事
一、学級編成をなし、教員三名の淘汰をすること
一、吏員二名を淘汰せしむる事
一、明年度予算は本年の三割減
一、頼母子一ケ年繰延べの事
                   (同、十二月九日付)

図1 花岡村における米価と労賃の推移
[資料:『花岡郷土誌』1932年]