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日本石油油槽の漏油事件

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 末武南村が日本石油株式会社下松製油所の原油貯油槽を尾尻に誘致するに当たって、その危険性を懸念する反対運動が起き、一九三五年一月、「末武南村々民大会」の名目で建設地変更要求決議書の提出があった(「昭和十年末武南村庶務一件」)。そのため、末武南村当局は、西市市街地住民の不安を取り去る目的で、日本石油と覚書を交わし、原油が地中に浸透して耕作物や飲料水などに被害を及ぼした場合には、その保障や対策を講じさせる一項を盛り込んでいた。ところが翌三六年四月、実際に貯油槽からの漏油事件が起こって、末武南村の当局者は困惑するところとなった。
 事故当初、日本石油は、下松製油所への送油管の修理途中に誤って漏油し、そのさい埋立土砂中へ吸い込まれた油が、後になって漏出したものと弁明し、敷地外に浸透しないように汲み取りをするので、懸念しないようにと説いていた。ところが、その後、四カ月以上を経過した九月になっても漏出し、低地に向かってしばしば流出したことから、下流の関係住民は飲料水に浸透することを恐れて、その対策に簡易水道を施設することを強く要求し始めた。そのため、かつて貯油槽の誘致を積極的に進めた村当局は、臨時委員会を組織して対応を協議しなければならなくなり、十数回の会合を重ねて検討した結果、日本石油に簡易水道の敷設交渉を開始することとし、「相当」の交渉費の支出を決意して、目的達成につとめることを村議会で議決している(「昭和十一年末武南村庶務一件」)。

日本石油下松製油所の原油貯油槽
(1948年1月、アメリカ軍撮影)